英語長文多読(大学入試・受験英語)

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東京外大 2016 大問1 日本語訳

『サピエンス:人類の短い歴史』の著者,ユバル・ノア・ハラーリ歴史学教授は,人類がいかにして地球を支配してきたかを説明する。その理由は,あなたが期待しているものではないかもしれない。

 

 7万年前,人間はたいしたことのない動物であった。先史時代の人類について知っておくべき最も重要なことは,彼らは重要な存在ではなかったということだ。人間が世界に与えていた影響は非常に小さく,クラゲやキツツキ,マルハナバチの影響よりも小さかった。

 しかし今日,人間はこの惑星を支配している。私たちはいかにして,そこから今の地位に到達したのであろうか。私たちの成功の秘密,私たちをアフリカの片隅で自分のことだけを考えている取るに足りない類人猿から,世界の支配者へと変えた秘密は何だったのだろうか。

 私たちはしばしば,私たちと他の動物との違いを,個々のレベルで解明しようとする。私たちは,1人1人の人問には,イヌやブタ,チンパンジーよりも人間をはるかに優れている存在にする何か特別なものが,人体や人間の脳にはあると思いたがる。しかし実際には,1対1で見てみると,人間は嫌になるほどチンパンジーとよく似ている。もし私と1頭のチンパンジーを一緒に孤島に置き去りにして,どちらがよりうまく生き延びるかを調べるなら,私は間違いなくチンパンジーのほうに賭ける。

 我々人間と他の動物との本当の違いは,集団的なレベルで見られる。人間が世界を支配しているのは,我々が大人数で柔軟に協力できる唯一の動物であるためなのだ。アリやハチも多数で協力することができるが,彼らの協力は非常に硬直した方法による。ハチの巣が新たな脅威または新たな機会に直面しても,ミツバチたちはよりよく対処するために,一夜にしてその社会システムを作り替えることはできない。例えばミツバチは,女王バチを処刑して共和国を設立することはできない。オオカミとチンパンジーは,アリよりはるかに柔軟に協力するが,協力できるのはよく知る親しい少数の個体同士に限られる。オオカミやチンパンジーの間の協力は,個体と個体の面識に基づくものだ。もし私がチンパンジーで,誰かと協力したい場合,私はその相手を直接知っている必要がある。その相手がチンパンジーなのか。いいチンパンジーなのか悪いンパンジーなのか。相手のことを知らないのに,その相手と協力できるだろうか。

 無数の見知らぬ相手と極めて柔軟に協力できるのは,ホモ・サピエンスだけである。1対1,あるいは10対10なら,チンパンジーのほうが私たちよりもうまくやるかもしれない。しかし, 1,000人の人間と1,000頭のチンパンジーを競わせたら,人間が簡単に勝つだろう。それは, 1,000頭のチンパンジーは決して効果的に協力できないという単純な理由による。ウォール街やヤンキー・スタジアムに10万頭のチンパンジーを入れたら,混沌となる。同じ場所に10万人の人間を連れていけば,取引のネットワークができたりスポーツ競技会が行われたりする。

 もちろん,協力はよいことばかりではない。歴史を通じて人間が行ってきたすべての恐ろしい行いもまた,大勢の協力による産物なのだ。監獄,大量虐殺現場,強制収容所もまた大勢による協力がシステム化されたものである。チンパンジーには監獄も大量虐殺現場も,強制収容所もない。

 しかし,それが遊ぶためであれ,取引であれ,大量虐殺のためであれ,なぜすべての動物の中で人間だけが大勢で柔軟に協力できるのだろうか。その答えは私たちの想像力である。私たちが多くの見知らぬ相手と協力できるのは,私たちは架空の物語を作り出し,それを広め,何百万人もの見知らぬ相手にその物語を信じさせることができるからにほかならない。誰もが同じ作り話を信じている限り,私たちは全員同じ法律に従い,そのことにより効果的に協力することができる。

 これは,人間だけができることだ。死後はチンパンジーの天国に行けて,その善行に応じて無数のバナナを受け取れるよと約束することで,自分にバナナをくれるようチンパンジーを説得することなど絶対にできない。そのような話を信じるチンパンジーはいない。人間だけが,そのような話を信じるのだ。これが,私たちが世界を支配し,一方でチンパンジーは動物園や研究所の檻(おり)に入れられている理由である。

 宗教の協力ネットワークは作り話に基づいているということを受け入れるのは,比較的容易である。人々が大聖堂を一緒に建造し,あるいは一緒に十字軍に加わるのは,彼らが神や天国について同じ物語を信じているからである。しかし同じことは,他のあらゆる種類の人間による大規模な協力についても言える。私たちの法制度を例にとってみよう。今日,ほとんどの法制度は人権の存在を信じることに基づいている。しかし人権は,神や天国と同様,作り話だ。現実には,チンパンジーやオオカミに何の権利もないのと同じように,人間にも何の権利もない。人間を切り開いてみても,どこにも権利は見つけられない。人権が存在する唯一の場所は,私たちが編み出し,互いに語り合う物語の中だけなのだ。人権は非常に魅力的な物語かもしれないが,物語にすぎないのである。

 同じ仕組みは政治でも働いている。神や人権と同様,国家も作り話である。山は現実にあるものである。山は見ることもできるし,触れることもできるし,そのにおいをかぐこともできる。しかし米国やイスラエルは,物理的に存在する実体ではない。これらは見ることも,触れることも,そのにおいをかぐこともできない。これらは人間が考案し,その後極端に愛着を持つようになった,単なる物語にすぎない。

 同じことは,経済的な協力のネットワークにも言える。例えば1ドル札を見てみよう。そのものには何の価値もない。それを食べることも,飲むことも,着ることもできない。そこに連邦準備理事会(FRB)の議長,あるいは合衆国大統領のような最高位の語り部がやって来て,この緑の紙切れにはバナナ5本分の価値があると言い聞かせる。何百万人もの人がこの話を信じている限り,この緑色の紙切れには本当にバナナ5本分の価値がある。それで私はスーパーに行き,この無価値の紙切れを,過去に一度も会ったことのない全く見知らぬ人に渡し,引き換えに本物のバナナを手に入れることができる。同じことをチンパンジーにやってみるとよい。

 実際のところ,貨幣はおそらく人間がこれまでに発明した最も成功した作り話だ。すべての人間が神や人権,アメリカ合衆国を信じているわけではない。だが,誰もがお金を信じ,誰もがドル札を信じている。オサマ・ビン・ラディンでさえそうなのだ。彼はアメリカの宗教,アメリカの政治,そしてアメリカ文化を毛嫌いしていたが,アメリカドルは大好きだった。彼にもこの物語には異議はなかったのだ。

 つまりは,他のすべての動物は,川や木々,ライオンが存在する客観的な世界に生きているが,私たちは二重世界に生きているのだ。そう,我々の世界には川や木々があり,ライオンがいる。しかしその客観的現実の上に,私たちは,欧州連合(EU)や神,ドルや人権といった虚構で構成される,想像上の現実という第2の層を構築したのである。

 そして時間の経過とともに,これらの想像上のものはかつてないほど強力になり,今日では,これらのものが世界で最も強力な力となっている。木々や川,動物たちのまさにその存続が,私たち自身の想像の中にしか存在しない,米国や世界銀行などの,虚構の存在の意志や決定にかかっているのだ。